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ライヴか、CDか

リスナーとして両方を楽しんでいる方、どちらか片方を好む方、様々です。
実際、僕の周りでも「ライヴ派」、「CD派」、「両方」と、様々です。

「ライヴ派」の方からは、「迫力が全然違う」と言われますが、どういう意味で迫力が違うと思うのかは人それぞれによって異なるようです。身体に感じる大音量を迫力ととらえる方、ライヴ特有の荒々しさを迫力と表現する方もいます。
コンサート会場で聴く音量と、家庭で大半の方が聴かれるであろうラジカセやミニコンポで聴く音量との差がありすぎるので、「全然迫力が違う」のは当たり前です。勿論、日本の住環境からすれば当然のことかもしれません。
また、ライヴでは実際にミュージシャンが目の前にいるので、視覚的な要素が加わりますので、それに感激するということもあるでしょうし、目の前にいるからこそ集中するということもあるでしょう。また、同じ場所の空気を吸っていたり、同じ時間を共有しているという実感も大きいと思います。

「CD派」の方からは、「ライヴのような不完全な要素(演奏の出来不出来だけでなく、音も)が多いものよりも完成度の高いCDの方がいい」とか、「日本のコンサートのPAは概して音やバランスが悪い」という意見もあります。
では、完璧な歌唱、演奏を有した音楽のみが果たして理想的な音楽なのでしょうか。

本来レコードは家庭で音楽などを聴くために実用化されたもので、コンサート会場に行く代わりのものでした。
現在にあってもこのように考えている方はおそらく「ライヴ派」でしょう。
レコード、CDが必ずしも「生の音楽」の代替、あるいは複製と思ってない方は「CD派」かもしれません。こういう方はきっとCDを「創作物」としてとらえているように思います。

ミュージシャン側でも、「生演奏と異なり何かが欠落する」としてレコードなどという不完全なものを認めなかった方もいますし、クラシック・ピアニストのグレン・グールド(バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の名演で有名)やビートルズは、その活動の後期には不完全なコンサートを嫌い、基本的にレコーディングに専念した例もあります。

う〜ん、やはり甲乙付けるものではなく、それぞれの良さがありますよね。

コメント

八野様
本当に「CD」と「ライブ」とは甲乙付けられませんね。私はさだファンなので、さださんに限ってしか言えませんが、夜、寝る前にイヤホンでさださんのCDを聴く。これまでの八野さんのお話を読んでから殊に、そのひとつひとつの曲の歌、演奏の完成度の高さに身震いします。またライブに行くと、CD程の精密度は望めない代わりに、表情や歌い方、トークから、さださんの人柄や、その日の心持が感じられて、さらに拍手やペンライトというささやかなお返事でも、人同士の心の交流ができたようで、一緒にコンサートを創っている気になったりして、毎回ニコニコで帰ります。どちらもアーティストさだまさしを知る上で欠かせないものだと思います。

「CD」と「ライブ」って判断基準が難しいですが、クラシックについて云えば、Liveがお勧めかなと思います。例えばマーラーなどの交響曲「復活」千人の交響曲などは、ダイナミックレンジが広くこのffffはコンサート会場で味わってしまうとCDでは物足りず、
また、同じくマーラーの第9交響曲の終楽章に於けるppppは集中して聞かない限りCDでは殆ど聴き取れません。
レコード時代は八野さんが前に書いていた「惑星」やチャイコフスキーの「悲愴」交響曲など終楽章のコーダーが全く聴こえなかったのに比べると格段の差ですが・・・

さて、ライブってスポーツ観戦と似ていて、オーディエンスの存在が重要ですよね。
拍手したり、笑ったりするだけでなくステキな聴衆が会場にいるだけで良い空気感が出来上がると思います。

落語のCDなどはスタジオ収録だと朗読っぽくて馴染めません。
「円生百席」も貴重な音源が一杯あるのに、自分は余り聴きません。寄席やホールでの空気感がないからかも知れません。

さて、オーケストラのライブではオーディエンスによるハプニングも度々あります。

トスカニーニ/フィルハーモニア管弦楽団のブラームス第4交響曲では終楽章で突然爆竹が破裂するし(爆竹は天井裏からだったとか、そのまま何事も無かった様に演奏するのも凄いが・・・)

シューリヒト/アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団のマーラー:交響曲「大地の歌」
(1939年)では終楽章の途中で客席の女性が、
「ドイチェラント・ウィバー・アレス、ヘア・シューリヒト」
と叫ぶ。或る意味戦争時の抗議声明。
ユダヤ人作曲家マーラーの演奏をしたことに対するものか?
ドイツ国内で演奏を続けていたシューリヒトに対するものか?
兎に角この瞬間の戦慄は凄い。

同じオケをメンゲルベルクが指揮したバッハ「マタイ受難曲」では、涙声が聞こえるのが話題となりました。

それぞれLiveCDが発売されているが、凄い緊張感が伝わります。

フルトヴェングラー/ベルリン・フィルの戦時中Liveも含め、信じられない程の迫力がそこにはあると思います。

アーニーズダックさん、コメントありがとうございました。

本当にそうですね。
コンサートは「演奏する側と聴く側の双方で作るもの」ですね。
ライヴにしても、CDにしてもお聴きくださる方の存在は大事ですし(CDであっても一方通行だとは思っていません)、ありがたいことだと思っています。
これからも宜しくお願い致します。

ブラッサンスさん、コメントありがとうございます。

クラシックの場合、楽器の混ざり具合を考えると生演奏は凄いですね。あるコンサートでラヴェルのピアノ三重奏曲を聴いたのですが、それほど凄い演奏ではなかったのにもかかわらず、出だしの1音にやられました。それ以来、ラヴェルのピアノ三重奏曲のCDをあれこれ聴き続けているのですが、演奏では遙かに上のものを何種類も聴いてはいても、あの空気感だけは残念ながら自宅のシステムからは出せてはいません。

コメントにあったシューリヒトの「大地の歌」は未聴です。凄そうですね。

圓生百席の話題が出たので、CDのマスタリングをてがけたエンジニアとして少し。
やはり演じる方も、ライブ(寄席)と違ってやりにくいようだったそうです。観客の反応というのは演じる(演奏する)側にとっても大切なんですね。
そういう相互通行が、ライブの迫力の元になるものを作っているのかも。
また、圓生百席に限っていえば、あのCDは若手の落語家さんにとっての「教科書」だと、「柳家」の若手の方がおっしゃってました。「記録物」ならではの側面もあるんですね。
ちなみに、先日初めて、オーケストラではありませんが、クラシックのコンサートを体験しました。あの楽器とホールが一体となった響きは、確かに「記録物」で再現するのは難しいかも、と思いました。
体に伝わる空気の振動は、「記録物」からはなかなか得られません。

酒サケさん、コメントありがとうございます。

ホントにそうですね。
また、ライヴにはタイミングというか、一期一会のようなところもありますよね。
こればかりは誰にも予測が不可能ですし、それだからこその面白さというものもあります。

今年の長崎のイヴェントで、僕はマルチレコーダーやProToolsでレコーディング出来なかったことを悔やんだところがあったんです。前にも書いたかもしれませんが、あの日の「フレディもしくは三教街」は僕の体験したレコーディング、ライヴの中で最高の「フレディ〜」でした。大竹しのぶさんの朗読やリスナーの皆さんの平和への思いに助けられた最高の「フレディ〜」でした。あの場にいられただけでもしあわせでした。

八野様
長崎、私も参加しました。大竹さんの朗読、とても素晴らしいと思いました。今まで知っていた「フレディ」の世界が、また大きく広がった気がしました。
素人にはわかりませんが、最高のツールで録っていなくても、何か記録はあるんですよね?あ、NHKのがありましたね。あれでも音源としてはあまいんでしょうか。出るか出ないかとは別に、何でも記録しておいて欲しいというのが、ファンの気持ちです。
追伸:MSコーラスいよいよですね。楽しみにしています。

アーニーズダックさん、こんにちは。

通常レコーディングで使用するツールで収録はしませんでしたので、少なくともCDを発売すること可能性はないと思います。

おっしゃる通り、MSコーラスのコンサートは明後日です。歌ったり、演奏したりしている方が輝けば嬉しいですし、聴いてくださった方があらためて素敵な曲だと思ってくだされば最高です。

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