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日本フィルハーモニー交響楽団 第324回名曲コンサート

今日はサントリーホールで行われた「日本フィルハーモニー交響楽団 第324回名曲コンサート」に行ってきました。
これは今日のコンサートで「指揮とお話し」をされた作編曲家の渡辺俊幸さんの35周年記念コンサートでもあり、さだまさしがゲストとして出演しました。

どれもが素晴らしい作品ばかりでしたが、とりわけ印象に残ったのは、渡辺俊幸さんが編曲したビートルズの「ミッシェル」と「悲しみを乗り越えて」という彼のオリジナル曲でした(その他の曲は聴いたことがありましたので)。

ビートルズの「ミッシェル」をカバーしたものを数多く聴いてきましたが、今回のものはその中で最高でした。ずば抜けたセンスを持つ彼と仕事をさせて頂けるのはありがたいことです。

コメント

八野さん、こんばんは!やはり、八野さんもいらっしゃっていたのですね。さださんコンサートやチキガリの皆様のコンサートは来て下さるのを待っているばかりの私ですが、ご生誕地名古屋でもやって欲しいと思っていたのですが、やはりありえない事でして、本来研修でいないはずの日で、研修がふいになったのをいい事に、東京まで行ってしまいました。(家族にとっては私がいないという事に何ら変わりはないので)感想はやはり行って良かったです。さすが日フィル。感動でした。(雨の為あやうく帰って来れなくなるところでしたが、23時10分無事帰宅。ただ余計な心配したせいで疲れてしまいましたが)約十年ぶりの東京だというのにどこにも寄って来れませんでしたが、しばらく今日の余韻でなんとか過ごせそうです。(でも、やはり、早くさださんのプロジェクトのお話やチキガリの皆様のお話聞きたくてしかたないのですが・・・。)

おめめさん、こんばんは。

昨日(8/24)は大変でしたね。電車に閉じこめられはしなかったですか?

まさしの新しいプロジェクトは昨日オン・エアーされた「ソロモン流」で多少触れられたようですが、正式な発表は9月上旬になると思います。

チキガリのアルバムの詳細もまだ正式には決まってません。というかレコーディングが始まったばかりですので、最終的な収録曲も曲数もまだ未定です(レコーディングしてもアルバムに入れないこともあり得ますし・・・)。こちらも、もうしばらくお待ちください。

日本フィルハーモニー交響楽団とさだまさしさんの共演。
本当に感慨深いものがあります。
 文化放送によって創設され、後にフジテレビ放送開始後はフジテレビの専属オーケストラと
なった日本フィルですが、1972年に財団解散、全員解雇と云う事態になりました。
「闘争やストライキをする芸術文化はいらない」と云う当時の社長のコメントが残っています。
(その時の分裂で小澤征爾さんの元新しく誕生したのが新日本フィルでした)
日本フィルは演奏を続けながら闘争の道を選択したのでした。
自分がクラシック音楽に深く関わることになったのは、この日本フィル支援がきっかけでした。
小学生の時に音楽好きの友人に誘われて日本フィルの定期会員(当時A席ランクを中高生席としていたのが魅力的でした)となり、演奏会を聴く以上にオーケストラを支援すると云うことの意味を学びました。
オルグ活動を手伝ったりコンサートのスタッフをしたり、そんなこと重ねていく内に楽員の方や支援者の方々と親しくなったのも大きかったです。
そして、その方々との関係が現在でも続いていますし、クラシック音楽に未だ関わっているのもこの時に体験したことが財産になっているからです。
「市民と共に歩む オーケストラ 日本フィル」
さだまさしさんの音楽に対する姿勢と日本フィルのコンセプトが相通じているとずーーと感じていたのでした。

この一連の話の中で忘れてはいけないのが指揮者 山本直純先生のこと。
小澤征爾さんの親友であったことから新日本フィルの指揮者団に加わりましたが、
闘争を続ける日本フィルのために一所懸命に動かれていたのは余り知られていません。
自分も直純先生と一緒に飲んでいた時、日本フィル闘争時の書記長が偶然来られて
その話しになったのでした。
「軽井沢音楽祭」は楽員の“夏のボーナス”念出のために直純先生が考えられたこと。
そして、新日本フィルだけでなく日本フィルも登場させる予定だったこと。
そして、周囲の大反対に遭い已む無く断念したこと。
そして、日本フィルへの支援を陰ながら続けていたそうです。
その関係もあったのでしょうが、山本直純先生の葬儀を裏方でまとめていたのは、
日本フィル闘争時の初期の役員の方々でした。

表面上で過去の経緯を知っているだけだと有り得ない様な光景ですが、
直純先生の『クラシック音楽の仲間を守りたい。
音楽家の生活を保障しないといけない』と云う純粋な気持ちの恩返しだったのだと
思う出来事でした。


関西フィルがピンチになった時、
「ガンバレ 関西フィル」コンサートが行われ、直純先生も駆け付けています。
このコンサートでは、全国からプロのオーケストラメンバーがボランティアで参加、
180人編成で演奏をしたのです。
直純先生は第2部のオープニングを飾っていました。
 先生もボランティアでの参加です。それだけでなく、交通費などの負担が掛らない様に
その前の日に他のオーケストラでの仕事も入れた配慮もしている程でした。

実はこのコンサートの時に直純先生とお会いしているのですが、
先生は顔面蒼白、青色吐息状態で、全く元気なしだったのですが・・・・。
その後の状況を聞いてビックリ。
宿泊予定のホテルをチェックアウトして新幹線で急遽帰京、そのまま入院したのです。

と云うのも
舞台では、何時もの様な見事なパフォーマンス。指揮台で飛び跳ねたり、
楽員をスタンドプレーさせるなど聴衆を和ませて、最後は「寅さん」で大盛り上がりを見事に
演出しご自身とオーケストラを魅せていた姿からは到底信じられませんでした。

「音楽家を愛する心」が心底伝わってくるエピソードではないでしょうか・・・。

ブラッサンスさん、こんばんは。

「日フィル事件」は僕もよく覚えています。大学に入学した時には、まだ闘争中でキャンパスには事件のことを書いた立て看板がありました。また、事件当時日フィルにいらした弦楽器奏者の方とは今でもよく仕事をご一緒しています。

直純先生と関西フィルの話は初めて聞きました。そんなことがあったのですか・・・。本当に直純先生らしいエピソードですね。

八野さん、わざわざお返事ありがとうございました。そして、ご心配頂きましてありがとうございました。幸いにして、電車の中での缶詰も免れ、無事帰る事ができた事も本当にラッキーだったと思っております。コンサート後、反対側のお店のテラスでご飲食のグループの方の会話がふと耳に入って来た時には本当にびっくりで、東海道線も新幹線も止まってるなんてと慌てました。携帯で運行状況確かめながら、とにかく品川へ向かい、品川駅でも人の多さにびっくり。運転は再開されたものの80~110分の遅れという事で予算を安くする為ぷらっとこだまの旅にしていたので、予定の車両はいつになるか分からない状態。でも、あまり遅くなると名古屋からの電車がなくなってしまうと帰れない恐れがあり、もう予定の時間は過ぎているので立ったままなら次のこだまに乗ってもいいか尋ね、今日は特別にと言ってもらって予定の車両より3つ早い車両に乗って帰ってきたのが正解でした。その後また雨がひどくなり運転見合わせになった事を知り、予定車両を待っていなくてよかったと胸をなでおろしたのでした。その後もずっと雨足が弱まらず、翌日までずっとダイヤの乱れ続いて大変でしたね。八野さんもレコーディングに行くのにご苦労なさったようで、本当に大変でしたね。本当にお疲れ様でした。
ブラッサンス様、こんばんは!山本直純先生のお話、存じ上げませんでしたが、何だか凄いお話を読ませて頂けて本当に凄いお方だったのだなと思いました。テレビでお話されるお姿や指揮されるお姿を数回拝見したくらいで、本当に何も存知あげないのですが、そういうお話やさださんのお話下さった事を重ね合わせていくと本当に素晴らしい人となりが伺い知る事ができて・・・。お教え頂けてありがとうございました。

おめめさん、おはようございます。

本当に大変な思いをされたのですね。
それにしても無事にご自宅に帰ることが出来て良かったですね。

3年ほど前に普通だと自宅まで1時間強で帰れるところから、6時間かかったことがありました。夜9時過ぎに電車に乗っている時に近くの変電所に落雷があって電車が止まってしまい、真夏の大雨の中、窓を開けることが出来ず、冷房も効かなくなった暗い車中に立ったままで3時間閉じこめられました。
そんな経験をしていたので、おめめさんが大丈夫だったのかと心配でした。

>山本直純先生のお話、存じ上げませんでしたが、
何だか凄いお話を読ませて頂けて本当に凄いお方だったのだなと思いました。

おめめさん初めまして。

直純先生は本当に凄い方だったと思います。コンサート後に楽屋へ伺うと
「おい、行くぞ!」とそのままタクシーに乗って飲みに行ったものでした
(大体が朝までコース・・・)
家が近所だったこともあり、気軽に声を家掛けて下さったんだと思っています。

先生との思い出はホント尽きません。
そして、未だに紹介されていないものが多く皆さんから情報を集めたら
1冊の本が書けるボリュームだと思いますよ。
実は還暦記念としてそんなエピソードをまとめて出版しようと云う動きがあったのですが、
先生が恥ずかしがってしまい、最終的にご自身で過去の出来事を語るスタイルとなりました。
これは「赤いタキシード」として出版されています。

・さだまさしさん
・山本直純さん
・日本フィルハーモニー交響楽団

自分はそれぞれの方&関係者の方々に出逢ったことで、
素晴らしいエネルギーを頂いたからです。
なので、現在でもボランティア活動を続けられているのは、原点(見本)となる方々が
素晴らしかったからだと何時も思っています。


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