« 2009年08月 | メイン | 2009年10月 »

2009年09月28日

反省するこの頃

世の中はマス(大衆)の力によって動いている。
技術がある程度成熟してくると、多くの製品は、その存在をかけた本質が優れているかではなく、「ユーザーにとっての利便性」、「ユーザーの一時的な好み」あるいは「広告展開」で評価されているように思えてならない。それは正しいことでもあるので、それに対して批判のみをしたい訳ではない。例えばユーザーの求める「利便性」を満たすべく企業側は努力するので、それによって技術は進歩するのだろう。
極論を言えば、売れたものが善であり、売れないものは悪だ。
ある知人の芸能ジャーナリストは「いいCDとは売れたCDのことだよ」と結果論を言う。
確かにそれは当然のこと。売れない人のCDはやがて作れなくなるのだ(勿論、僕や僕の仲間たちが関わっているCDだけが優れているなどとはこれっぽっちも思ってないし、近年ヒットした曲の中にも個人的にも評価するものはたくさんある)。

では、工業製品としてのレコード(CD)はどうだろう。
SPからLPになった時に、人々は数分でレコードの盤面をひっくり返さなければならない「不便さ」から解放された。そしてLPからCDになった時にも、およそ30分で盤面をひっくり返さなければならない「不便さ」から解放された。定期的なレコード針の掃除も針交換も必要が無くなった。しかもCDはLPに比べれば省スペースで保存が出来るし、基本的には何度聴いても音質は劣化しない。
そして様々な面倒くささが無くなった分、盤自体の扱いもお手軽になったので、「何かをしながら」でも、そう、例えばコンサートでは不可能な「食事をしながら」でも、「お酒を飲みながら」でも、「会話をしながら」でも音楽を楽しめるようになった。少ない自由時間の中で、誰だって日頃の疲れを癒したいし、ストレスを発散させる目的で音楽を聞くことは多いはずだ。
ただ「利便性」が優先されすぎると、どうもそのものが持っている本質的な「価値」が下がるように思えてならないのは僕だけだろうか。現代のような便利な世の中になっても、ユーザー側の「努力」も時としては必要なのではないだろうか。もし「簡単に理解出来る」うわべだけの心地良い言葉、魂のこもってないメロディばかりがもてはやされ、人の世の楽しいばかりでないシリアスな面や、より深い表現を追求する精神が無くなったとしたら、進歩が無くなり、やがて音楽から感動は失せてしまうかもしれない。

オーディオ・マニアのための雑誌に「Stereo Sound」というのがある。
毎号、レコーディング・エンジニアの大御所にしてオーディオ評論家の重鎮でもある菅野沖彦氏のエッセイが掲載されていて、実はそれを読むのを楽しみにしている。
前号で菅野氏は「一期一会」というタイトルで、「我々はCDを聴くのに一期一会の気持ち(覚悟)を持って聴いているのか」という趣旨の問題提起をされていた。
これを拝読して衝撃を受けた。
「自分はどうなのか? 例えば雑誌を読みながらただ漫然と聞いて、その音楽やCDを解ったようなつもりになってないか? あるいは漫然と聞いただけで切り捨ててしまってないか?」

コンサートに行く際には、何日も前から体調を整え、わざわざ時間をかけてコンサート会場まで行き、本番が始まったら集中して音楽を聴くようにしている方は多いであろう。しかも普通の家庭とは異なる圧倒的な大音量の中で、だ。そしてほとんどの場合、その結果として「深い感動」を得ることが出来るだろう。

ではCDではどうなのだろう?
ここで、菅野氏のエッセイを振り返ってみる。
コンサートと同様に「一期一会の気持ち(覚悟)」を持ってCDを聴いているだろうか?
小音量で雑誌や新聞などを読みながら漫然と音楽を聞いてないだろうか?
たった一度しかそのCDを聴くことが出来ないと思って、きっちり音楽と対峙して聴いたら、コンサートに勝る感動を得ることも十二分にあるのではないか?
もし、「ながら」で聞くとしたら、何よりその音楽やCDに対して失礼ではないか?
そんなこんなで深く反省するこの頃。

2009年09月25日

“Acoustic Revive”という名の奇跡

いつもレコーディング機材でお世話になっている関口機械販売(Acoustic Revive)の石黒謙さんから、電源タップ(RTP-6ultimate、RTP-4)、電源タップ用クォーツアンダーボード(TB-38)、そして左右ペアでスピーカー用クォーツアンダーボード(RST-38)が送られてきました。
前回送って戴いたエアー・フローティング・ボード(RAF-48)のあまりの素晴らしさに衝撃を受けたことは記憶に新しいこと(7月12日のブログに書いています)。

先日休みが取れたので、早速試してみました。
前回のエアー・フローティング・ボードは、二重構造になっていて、間に自転車のチューブのようなものを入れ、上板を浮かせることで、振動を遮断していました。今回のクォーツアンダーボードも、電源タップ用、スピーカー用共に二重構造になっており、間に天然水晶粒子を入れ、上板を浮かせることで、振動を遮断しています。
付属されている天然水晶粒子(最初は袋に入っています)を自分で入れるようになっていますが、丁寧にやってもわずか数分で出来上がります。
ラック周りの掃除をしつつ、汗だくになりながら(スピーカーが重く、しかもスパイクとスパイク受けによるセッティングなので、ひとりで数センチ移動させるだけでも大変)約1時間かけて全てのセッティングを終えました。

そして、いよいよ待望の音出し!
んんん・・・。あれっ、どういうことだろう??
イメージしたオーディオ的な良い音ではない!!

と一瞬思ったのは、全くの間違いでした!!!
石黒さんからではありませんが、オーディオ評論家の先生の中には、おとなしい音だと評価してくれない方がいらっしゃる、と聞いたことがあります。では僭越ながら同様の判断をしてしまったのか?
一瞬間違った判断をしたのは何のため?

つまりはこういうこと。
僕の場合、自分の頭の中にイメージとして存在する音と、現実の音の両方を聴いている感覚があります。つまり、決してハイエンドではない自分のオーディオ・システムから、イメージに限りなく近い音は出る訳がないと思って補正して聴く癖がついているんです。そのギャップが少なければ少ないほど、自分にとって良いオーディオ・システム(それでも現実には多少の色付けはあるものです)。
ところが、自分のイメージとほぼ違わない楽器の音量バランス、音色、質感、透明感などがいきなり出てきてしまったのです。つまりはあまりにも自然な音。だから「オーディオ的に良い音」とかいう次元ではなく、頭の中とほぼイコールになってしまったのです。今までは、聞こえてくる演奏の足りない分(それは表現であったり、バランスであったり、音質であったり)を頭で補っていたのに、それが必要ではなくなったのです。つまり面食らってしまった訳。

こうなると、ある意味でオーディオ・システムが介在(存在)しないのと一緒です。
音場感、立体感、上下間、奥行き感、周波数特性、ダイナミックス、解像度、情報量などがあまりにも自然に、イメージ通り再現されてしまいました。オーディオ機器の存在が消え、目の前で“生きた音楽”そのものが展開されているかのよう。
サラ・ブライトマンの口元が見え、身体をどのように使って、どういう歌い方をしているのか、そのテクニックと、その研ぎ澄まされた表現が見えてしまった。チック・コリアの弾くピアノの後方に奥方のゲイル・モランの歌が登場するところで、レコーディング風景だけでなく彼女の心の風景までもが見えてしまうかのよう。オーケストラの弦楽器も木管楽器もニュアンスが豊かになり、こういう風に演奏して欲しい、というものに限りなく近くなってしまっています。
今回の激変は、自分にとって、オーディオ的というよりも、遙かに音楽的なもの。
音楽がまさに変貌した瞬間を味わわせてくれました。
いや、困りました。これでは色々なCDを聴くための時間が欲しくて仕方なくなってしまいます。

それにしても、これを「奇跡」と言わずして何と言うのでしょう。

PS. 最後になりましたが、石黒さん、こんな凄いものをユーザーのために開発してくださって、ありがとうございました。感謝に堪えません。

2009年09月24日

メンテナンス終了

この連休中にブログのメンテナンスが終了し、今日から書き込みが出来るようになりました。

関係者のみなさん、ありがとうございました。

2009年09月17日

・・・

1960年代にP.P.M(ピーター、ポール&マリー)の一員として一世を風靡したマリー・トラバースさんが16日、白血病により、その72年の生涯を閉じました。世界中のミュージシャンに影響を与えた方でした。ご冥福をお祈りいたします。

マリー・トラバースさんのことを考えると思い出すことがあります。
1991年にレーズン名義でリリースしたアルバム「あの頃について」の中に「あと1マイル」という曲を入れています。この曲はまさしがP.P.Mの「500マイル」を意識して作った作品。
サウンド全体もP.P.Mのイメージでやることになり、ヴォーカルはレーズンの二人の他に、我々が尊敬する、彼らのかつての事務所の先輩でもある「ハイ・ファイ・セット」の山本潤子さんにお願いすることになりました。

楽器部分のアレンジはレーズンの二人がやり、ヴォーカル・アレンジは僕が担当することになりました。

楽器部分のレコーディングが終了した後、3人の歌入れのスケジュールは合いませんでした。そこでまさしのメイン・ヴォーカルを最初に録音し、それを採譜。そして、それに合わせるように山本潤子さんのパートと吉田政美さんのパートを書きました。

山本潤子さんのヴォーカル・レコーディングにまさしは立ち会えませんでしたので、譜面を書いた僕がディレクションをするハメに。
こちらは思いっきり緊張しましたが、山本潤子さんはさすがでした。
完璧に歌ってくださって、ご機嫌でお帰りになりました。

明日から連休いっぱいまでは

おはようございます。
東京はだいぶ涼しくなり、過ごしやすい季節になって来ました。

さて、明日9月18日(金)から9月23日(水.祝)まではこのブログにコメントを戴いても、諸般の事情によりその期間はブログ上に反映させることが出来ません(もし頂いた場合は、24日から反映させるようにするつもりです)。申し訳ありません。
また、その期間は僕自身の書き込みもありません。

残念ながらこの連休を利用して旅に出る訳でも、入院する訳でもありません。
(ブログのメンテナンスです)

仕事関係の方へ メールや携帯は通常通りいきてますので大丈夫です。

2009年09月15日

北欧の空気感

クラシック音楽の中心であるドイツ、オーストリアだけでなく、北欧にも素晴らしい音楽は沢山あります。
一般的にフィンランドを代表する作曲家と言えばシベリウスでしょうし(僕にとってはフィンランドと言えばラウタヴァーラですが)、ノルウェーを代表するのはグリーグでしょう。
前にこのブログでグリーグの「ペール・ギュント」のことを書いた時には、カラヤン=ベルリン・フィルのCDを取り上げました。その他にも名演の誉れが高いものとしては、ブロムシュテット=サンフランシスコ響のもの、フィエルスタート=ロンドン響のものなど挙げればきりがありませんが、ここ数年はラシライネン=ノルウェー放送管弦楽団のものを愛聴しています。

例えば第1組曲の2曲目「オーセの死」(の表現)で、カラヤンのものは人目もはばからずに号泣していますが、このラシライネンのものは哀しみに耐えかねて人目を避けてさめざめと泣いているように聞こえます。
またこのCDでは組曲全体に北欧特有の空気感がとてもよく表現されています。そして冷え冷えとした透明感の中に、人肌の温もり、人の血の暖かさを感じることが出来ます。
このCDは演奏も音質もとても素晴らしいのに、マスタリング・レベルが低いことだけが残念です。拙宅ではアンプのボリュームを時計の角度に例えると1時間ほど上げれば、平均的なCDとほぼ同じ音量になりますので、よほどパワーがないアンプやよほど能率の低いスピーカーを使ってなければ事実上問題はないと思われます。
近年、このCDを聴く度に感動で震えています。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/736860

2009年09月11日

影響を受けたCD その111

別宮貞雄/交響曲第1番、第2番
湯浅卓雄:指揮/アイルランド国立交響楽団
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1477047

ベートーヴェンに憧れながら運命の悪戯なのかパリに留学し、ミヨーやメシアンに学んだ作曲家・別宮貞雄さんの交響曲。

小学校に入学した頃、初めて別宮貞雄さんの音楽を耳にしました。
当時僕は大の怪獣映画ファンで、ゴジラ、モスラなどの新作が上映されると映画館に足を運んでいました。別宮さんの音楽を初めて耳にしたのは、たまたま「マタンゴ」というキノコのお化け(?)の映画を観に行った時のこと。その「マタンゴ」の音楽(劇伴)が別宮貞雄さんによるものでした(残念ながらあまり音楽の印象がなく、ただただ怖い内容の映画だったことしか記憶にありません)。

それから長い年月を経て2005年にこのアルバムに出会い、それ以来聴き続けています。
特に第1番・第1楽章冒頭の胸を締め付けられるようなロマンの横溢とその後の色彩感などが特徴的で、素晴らしく美しい音楽だと思います。
尚、CDブックレット内の解説は昨年(2008年)、吉田秀和賞並びにサントリー学芸賞を受賞された片山杜秀さんによるこれまた素晴らしい力作です。

ここ数年、老舗の廉価レーベル「ナクソス」(NAXOS)が素晴らしい仕事をなさっていると思います。このアルバムは同社の日本人作曲家シリーズの中の1枚です。

2009年09月09日

待ちに待った この日!

もう10年も前から待ちに待っているCDたちが2009年9月9日の今日、全世界で一斉に発売されました。
それはビートルズの全オリジナル・アルバムのリマスター。
数年前に「Love」が出てからというもの、リマスターを待ちこがれる思いが加速していました。というのは、「Love」ではかなりの音質向上が感じられたから。
今後、全世界で今回のリマスターがどのように評価されるのだろう。
これから数日間、興奮で眠れない日々を送るのかなぁ・・・。

2009年09月08日

DVD“まさしYOSE”

既にご存じの方も多いと思いますが、5月21日にNHKホールで収録し、6月1日にエディット、6月2日〜6日にミックス・ダウンをやっていた「まさしんぐWORLD2009」がDVDとして発売になります。詳細は下記URLをご覧ください。
http://www.u-canent.jp/masashi/newrelease.html

2009年09月07日

別れの風景

「別れの風景」を題材にしたポピュラー・ソングは数多くあります。
「別れの風景」を題材にした作品を書いたらこの人の右に出る人はいないのではないかと思っているソング・ライターは「正やん」こと伊勢正三さん(さだまさしはあまりにも身近すぎてこういう場合は念頭に置いてはいません)。そしてまた伊勢さんは「小道具使い」の名手でもあります。

ご存じの通り「なごり雪」はプラットホームでの別れのシーン。「なごり雪」を小道具に使い、「去年よりずっときれいになった」というフレーズで締めています。これによって風景描写と心情描写とが重なり、男女間に於ける時間の流れ方の相違にも目を向けさせられます。
「22才の別れ」では女性が去るシーンを「なごり雪」とは反対に女性側から描いたもの。ここでの小道具は鏡とローソク。個人的には鏡を使ったことが秀逸だと思います。そして「あなたは〜、そのままで」というフレーズによって女性の心情が表現されていますが、一方では、去って行く女性はそのようには考えないという意見もあるようです。

特に有名なのは上の2曲でしょうが、その他にも素晴らしい楽曲は数多くあります。例えば「あの歌はもう唄わないのですか」では小道具「マッチ」を使うことにより情景描写と心情描写とが見事に重なり最大限の効果を上げていると思います。また「海岸通」では「あなたの言う通り妹のままで〜」というのは何とも哀しいフレーズで、聴く人の涙を誘います。

このように名曲が多い彼の作品の中で個人的に最も感動するのは「君と歩いた青春」(太田裕美さんのヴァージョンもとても素敵ですね)。伊勢さんは言わずとしれたストーリー・テラーです。個人的に歌詞の中に欲しいと思う要素は、「時の流れ」「情景描写」「心情描写」「事象の多面的描写」「色彩感」「温度感」「空気感」「ノスタルジックさ」「普遍性」などですが、特にこの作品にはその全てが網羅されているように思います。
幼い頃の故郷での出会いに始まり、仲間と共に成長し、それぞれが都会に出て暮らし、二人して同じ時を過ごし、やがて別れ行く。そのストーリーの中で男が最後に呟く言葉は・・・。この男の身勝手とも悔恨とも諦めともつかない複雑な心情。この曲を聴く度に涙腺が弱くなるのは僕だけではないと思います。しかし「心」や「純粋さ」や「思い遣り」が美しいと思えるような時代ではなくなってしまっているのかもしれませんし、もしかすると男の身勝手さだけを書き連ねたものに見えてしまう時代なのかもしれません。

かつて伊勢さんと仕事をさせて頂いた折、電話で何度か話をさせて頂きましたが、憧れの人なだけに思いっきり緊張しました。
伊勢正三さんにはこれからもお元気で活躍して欲しいですし、伊勢さんのようにクォリティの高い作品を紡ぎ出せる人にもっともっと出てきて欲しいと思います。

2009年09月05日

美しい朝 4

「LIFE」
まさしと僕の好きな音楽にはなかり共通点があります。その最たるものは今年(2009年)7月に来日コンサートをやった「Simon & Garfunkel」ですが、1970年代に活躍した「Bread」もそのひとつです。
この「LIFE」はまさにその「Bread」のイメージで作りました。切なく美しいメロディ、凝ったコード進行、美しいギター・サウンド、印象的でなおかつ美しいグロッケンとストリングス。僕らにとってこれらはみな「Bread」のイメージと重なります。
グロッケンの代わりにレコーディングではチェレスタを使いましたが、イメージ通りの作品に仕上げることが出来ました。
歌詞の内容からしても、曲調やサウンドからしても、長く歌い続けることが出来る曲のひとつになったと思います。

「いのちの理由」
浄土宗 宗祖法然上人800年大遠忌にあたり委嘱された楽曲。法然上人の教えを解りやすく表現して欲しいとの依頼でした。
まさにそういったものを表現するのに、まさしは適任だと思います。
普遍的なテーマを普遍的なサウンドに乗せて歌ったものですから、この“いのちの理由”も生涯歌い続けることが出来ます。
色々な方が色々な場面で歌う可能性があることを前提にしたため、あまりレンジの広くないメロディ、歌いやすいメロディにすることを心がけて作ったようです。
アルバムのラストを飾るこの感動的な作品をじっくり味わってください。
尚、この「浄土宗 宗祖法然上人800年大遠忌」のプロジェクト・チームから依頼されて、チェロによるインストゥルメンタルのヴァージョンを後日レコーディングしました。

今回も実に多くの方々に支えられ、協力して頂き、このアルバムは完成しました。
おそらく実際にレコーディング現場に登場した方は延べ数百人にのぼると思います。そしてその人たちを遙かに上回る方々に出来上がったCDをお聴き戴いているわけです。僕らの仕事はそういった数多くの方々に支えられています。
ありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。

2009年09月04日

美しい朝 3

「私は犬になりたい¥490 〜アルバム・ヴァージョン〜」
話題になったソフトバンクCMソングのアルバム・ヴァージョンです。
CMやシングルは、まさしのギター弾き語りでしたが、このアルバム・ヴァージョンはオシャレなサウンドに生まれ変わっています。
アレンジを担当してくださった渡辺俊幸さんから、メール(の添付ファイル)で2つのアレンジ・デモが送られてきましたが、まさしと共に迷うことなくオーソドックスではない方を選びました。僕らのいつもの考え方に従ったまでで、「やるなら徹底的に!」ということ。つまりどんなものであれ、「圧倒的なもの」にしたいと常に思っているということです。可笑しいものはより可笑しく、感動的なものはより感動的に、ということでもあります。
この曲の場合は、曲(歌詞)の持っている可笑しさと(本来はペーソスもですが)、オシャレなサウンドのギャップがあればあるほど世界が浮き立つからです。勿論、ギター弾き語りでも、この曲の世界観は十二分に表現出来ているとは思いますが・・・。
レコーディングの時は、リズム隊全員が大盛り上がりで、そのコンセプトに則ってやってくださいました。今回のアルバム中、一番のカッコ良さが出ていると思います。尚、歌詞はシングル・ヴァージョンと一部異なります。
この曲のシングル・ヴァージョンはスタジオ録音なのか、ライヴ録音なのか、という疑問をお持ちの方も多いと思いますが、実は両方とも正解です。

「明日咲く花」
依頼されて昨年、女性3人組の「September」の皆さんのために書き下ろした作品のカバーです。
実際にこの歌詞に励まされ、癒される女性は多いようです。
「私は犬になりたい¥490 〜アルバム・ヴァージョン〜」とは逆に、こちらは極めてオーソドックスなアレンジ、アコースティックなサウンドにしています。
一所懸命に今を生きている全ての方へ。

「ママの一番長い日 〜美しい朝〜」
ご存じ1978年に発表した「親父の一番長い日」の続編。31年ぶりにその「親父の一番長い日」を抜いて現在まさしの曲の中で一番長い曲になりました。
この曲を作るに際し、ステージでもよく話しているようにまさしはかなり悩んでいました。
タイトルをどうするか、誰を語り手にするか、です。
この曲は既に今年1月の時点から彼の頭の中にあり、僕らもこの曲を作ることを支持していました。
作り終えてからもある段落をごっそり差し替え、その他のディテールもより良いものにし、完成度を高める努力を重ね、この最終形に到達しました。
レコーディングしながらも、エディットをしながらも、ミックス・ダウンをしながらも涙が止まりませんでした。
「ママ」は「親父の一番長い日」の「妹」であることは当然ですが、この「ママ」が他の何という曲の主人公だかお分かりの方は多いと思います。もしご存じでない場合、この「ママの一番長い日」の歌頭あたりのピアノのフレーズをよ〜くお聴きください。そこにヒントがあります。昔から“まさしんぐTOWN”の住人ですね。

2009年09月03日

美しい朝 2

「勧酒 〜さけをすすむ〜」
主に中高年の男性への応援歌として書いたもの。
リズム・トラック(ギター、ベース、ドラムスなど)のレコーディングが終わり、オーバー・ダビングに入って、コーラスはいつもお願いしている比山さん、木戸さんではなく、リズム・トラックのレコーディングに参加したミュージシャンの方々(現在のツアー・メンバー)にお願いしました。これは比山さん、木戸さんたちのような美しいコーラスが欲しかったからではなく(失礼)、雰囲気をより重視したためです。
エンディングでは、コンサート終了後の打ち上げ風のノリを出してください、とお願いしたところ、それぞれ皆さんテイクワンでOKでした。後日、ツアー・スタッフの垣見クンがスタジオに譜面を取りに来たのですが、その際、たまたまこの曲のミックス・ダウン中でしたので、彼に聴かせたところ、「コンサート後の打ち上げそのものですね!」とのことでした。
尚、まさしによって命名された「喜多仲男声合唱団有志」という名前ですが、この「喜多仲(きたなか)」は長崎弁です。念のため。

「がんばらんばMottto」
NHKで深夜にやっているレギュラー番組「今夜も生でさだまさし」にオープニング曲があった方がいい、という話は前からありました。アップ・テンポで元気が出るようなものが好ましい、とも。
今回の曲作り中にその曲を作ろうとしていましたが、本来の番組の趣旨からしてその時点で「がんばらんば」よりもふさわしいものがなく、歌詞をそっくり入れ替え、サウンドも新しくしたものを録り直すことにしました。
前回レコーディングした「がんばらんば」から変更(追加)したのは、まずドラムス、ベース、エレキ・ギターでした。倉田さんの紹介で、若手3人と初めてご一緒しましたが、なかなか素晴らしい人たちでした。また、歌詞が変更になったためにコーラスの歌詞部分も差し替えました。前回同様チキガリもラップ部分のバックにコーラスで参加しています(これは差し替えているのではなく、前回のテイクを使用)。
タイトルにある「Mottto」ですが、当然のことながら本来「Motto」が正しいのですが、よりイメージに近づけるためにあえて「t」をひとつ増やしてあります。ですから誤植ではありません。

2009年09月02日

美しい朝 1

「霧に消えた初恋 〜Radio Days〜」
日頃お世話になっている東海ラジオさんから依頼されて作った曲です。
まさしも僕もラジオ世代です。ラジオの深夜放送が本格的に始まったのは1960年代の終わり頃。その頃日本は高度成長期ではありましたが、一般的に現在よりもお金が無かった時代。いくら音楽が好きでも学生が次から次へとレコードを買えるような時代ではなく、電子メールやファックスなどという手軽で便利なものもなく、ましてやひとりひとりが携帯電話を持つなどとは考えられないような時代でした。
そんな中で、聴きたい曲をラジオ番組にリクエストし、それを誰かに届けたり、膝を抱えて夜を過ごす若者にとってラジオやDJは友であり、師でもありました。
様々な人間ドラマをラジオを通して疑似体験し、共感したり、涙したりして夜を過ごしたものです。
“青春”と“ラジオ”をテーマにし、ノスタルジックでウェットで胸がキュンとするサウンド(「雨の夜と淋しい午後は」に近いサウンド。フィル・スペクター・サウンドですね)を持つこの曲を、今でも“青春”している全ての世代にお聴き頂きたいと思います。
尚、この曲は全体的に、まさしが自分のProToolsを使って作ったデモにかなり近いアレンジ、サウンドになっています。

「抱きしめて」「一期一会」
「抱きしめて」は、映画「ぼくとママの黄色い自転車」のために書き下ろしたバラード。「一期一会」は、東海テレビの開局50周年記念スペシャルドラマ「長生き競争!」のために書き下ろしたものです。
「まさしんぐWORLD2008」のミックス・ダウンが終わった僕は昨年(2008年)8月15日に渋谷にある小さなスタジオに、ほとんど眠ってない状態で、しかも地肌を焼くような日差しの中、意識が遠のきそうになりながら駆けつけました。そこで数日間まさしがこもって作っていたのが、この「抱きしめて」と「一期一会」でした。
僕がスタジオに駆けつける前、「曲が出来上がってデモを録音をする段階になったら、必要な譜面はどうするのか」でスタッフたちは困っていたようでした。僕の顔を見た彼らのホッとした顔が忘れられません。
しばらくするとまさしからブースに呼ばれ、少し打ち合わせをしてから、まさしが歌い、ギターを弾いているものを簡単に採譜して、デモ録音を始めました。
本番のレコーディングは2008年9月に文化村スタジオとサウンド・シティで行いました。文化村スタジオでのレコーディング時にギタリストの石川鷹彦さんを取材している番組(みゅーじん)のテレビカメラがスタジオに入ってきたこともありました。
機会がありましたら、映画「ぼくとママの黄色い自転車」も是非ご覧ください。