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2010年05月29日

最近とても嬉しく思うこと 1

近年、音声ファイルの台頭によるCD離れは深刻です。
僕がパッケージ商品に対して危機感を持ったのは昨年だったか、イギリスの高級オーディオ・メーカーのリンが今後はCDプレーヤーの新機種を発売しないとする方針を発表した時でした。

確かに音楽配信によって現在のCDフォーマットよりは数段音質の良いものが自宅で楽しめる可能性はあるのですが、それだけでいいのだろうか(CDよりも著しく音の悪いものが大量に出回る可能性があります)、パッケージ商品が無くなるのが本当に良いことなのだろうかという疑問はあります。これは昨今話題になっているAppleの「iPad」と紙の書籍も同じような関係かもしれません。

そんな中で数年前に事実上SACDから撤退したユニバーサルさんが、来月から限定でSACDを発売することにしたようです。この中には僕が待ちに待っていたタイトルが1枚ですが入っています。
どうやらエソテリックさんによるユニバーサル原盤を使ったSACDの売れ行きが好調であることをうけてのことのようです。やはりクォリティの高いものをリリースすれば、市場は動くと言うことでしょうか。
そうだとしたら大変素晴らしいこと。

最近一番嬉しいことです。

2010年05月25日

30年の時 1

今日、事務所で「まさしんぐWORLD2010」をライヴ・レコーディングしたものをチェックしていると、同僚のH女史が一葉の写真を持ってきた。
それは美貌のM女史とH女史が並んで椅子に座っている写真。
おそらく30年程前のものであろうけれど、どこで撮ったのか分からないと言う。
手にとって見せてもらうと、それは赤坂にあった自由飛行館で撮ったものであることが分かった。

今年は「長江」から30年。「自由飛行館」からも30年。
仕事が終わって家路を急ぐ時に、気持ちは30年前にタイム・スリップした。

先日のブログで自由飛行館を立ち上げる話を書いたが、一言では書ききれない実に様々なことがあった。
アイデア溢れるまさしの希望は際限がなかったが、それのかなりの部分を実現出来たように思う。しかしその裏では実に多くのトラブルに見舞われたことも事実。

自由飛行館へ入るための地下への階段を下りるとドアが右、真ん中、左と3つあった。右は全くのダミーで壁に埋め込まれていた。真ん中はレジや従業員の荷物置き場へのドア。左が店の中へ入るドアだった。初めてのお客さんは全員が迷った。
店に入ってすぐの左右には小型のコイン・ロッカーのようなものが並んでいて、ボトル・キープしてくださった方のボトル入れであり、そのお客さんが折りたたみ傘などを入れてもいいようになっていた。
音楽はスピーカーからは流さず、右手の壁にいくつかの機械が埋め込まれており、音楽を聴きたい人にはゼンハイザーのヘッドフォンをお貸しして、その機械につないで聴いてもらうという風になっていた。その機械には5つのセレクターとボリュームなどがついており、さながらスタジオにあるキューボックスのようなものだった。
左手奥の20センチほど高くなったスペースは通常は8人が座れ、手すりに囲まれたVIP席のようだったが、その手すりを外しテーブルを片付けるとそこがステージになるというものだった(まさしはステージが電動で動くことを希望したが、流石にあれだけのスペースでは無理という結論を出さざるを得なかった)。
ステージ下手にはロール・ピアノを置いていた。当時、日本にはあまり無かったもので、シリンダーを交換して様々な曲を自動演奏させることが出来、勿論、人間が演奏することも出来るものだった。
これを探すのも大変だった。色々なところに相談した結果、国立楽器に行くのが一番良いだろうという結論になった。国立楽器は当時はJR国立駅の北口から2分位のところにあった。実は通っていた高校への通学路にあったので、勝手知ったる、という感じであり、ロール・ピアノを探してもらって何とか入手した。確かアメリカから輸入したように記憶している。

前に自由飛行館で、まさしと渡辺俊幸さんと3人でライヴをやったことがあると書いたが、実はそれよりも前にまさしとふたりで少しだけやったことがあった。
都内でのまさしのコンサートが終わって、まさし、亀山社中(当時のバックバンド)、と共にタクシーで飛行館へと移動した。
10人位で飲んでいると、まさしが僕にギターを弾けと言う。ステージに移動して「アンジー」というインストゥルメンタルを弾くと亀山のみんなも僕がS&Gのファンだと納得。まさしも盛り上がってステージに乗って来て、まさしもギターを手に「コンドルは飛んで行く」や「サウンド・オブ・サイレンス」などを歌い、僕はギターを弾きながらハモった。
そんなことも今となっては懐かしい思い出のひとつだ。

紆余曲折を経て、後年、自由飛行館は長崎へと移転することになる。

2010年05月23日

しごと三昧

この週末も仕事三昧でした。

今月に入って自分の自由になる時間こそ少ないものの、眠る時間はありますのでそれだけは助かっていますが、実際にはどういう訳か睡眠が深くなく、30分で目覚めたり、明け方目覚めてそのまま眠れなかったり、あるいはほとんど一睡も出来なかったり・・・。

リリースなどの詳細は決まってませんが、明日24日と明後日25日は5月19日と20日にライヴ・レコーディングしたもののチェックをして、曲毎にどちらの日のテイクを使うか選びます。

26日からそれのエディット。
31日にはミックス・ダウンに突入します。

2010年05月18日

時は流れても 人と人とのつながり

ゆったりと時が流れる静かな夜には色々と思い出したりすることがある。
きっかけは昨日タクシーの車窓から観た風景だった。

昨日の午後、とある打ち合わせのために事務所のある四ツ谷から弊社の丸専務と一緒にタクシーに乗り込んだ。赤坂見附交差点を経由して向かったのはサントリーホールの前にあるANAインターコンチネンタル東京。1時間ほどで打ち合わせが終わりタクシーで事務所に戻った。戻る際に偶然、グランドプリンスホテル赤坂の旧館の前を通った。

赤坂は数多くの思い出がある街。

1980年にフリーフライト(現さだ企画)に入社し、4月1日に代表室に呼ばれ、初めて与えて頂いた本格的な仕事は赤坂見附交差点の角地におよそ3ヶ月で「自由飛行館」という名前のパブ・レストラン兼ライヴ・ハウスを作ることだった。
まさしに何度も会って彼の希望を聞き、基本コンセプトから店の内装、音響機器、食事のメニューまでも打ち合わせした。
毎日のように10時から23時まで仕事をし、何とか無事に予定通り1980年7月7日にオープンさせることが出来てホッとしつつも、店の従業員と共に現社長と僕はしばらくの間エプロンを着て店内に立った。
そして店が軌道に乗り始めると、今度はまさしのアルバム「印象派」のレコーディングのためにスタジオに缶詰め。新日本フィルの軽井沢音楽祭や白鳥座の音楽合宿を経て、「長江」の撮影で100日間中国へ。帰国後、仕事仲間と赤坂で飲んでいるとジョン・レノンが射殺されたというニュースが・・・。1980年は僕にとってまさに激動の年だった。

当時も今もスタジオ間の移動にはタクシーを使うことが多いが、車窓から時折観た赤坂プリンスホテル (現在のグランドプリンスホテル赤坂) 旧館の、ひっそりと時が止まったような、その典雅な佇まいに大いに魅了され、いつかその旧館の中に入ってみたいと思うようになった。その後、新館は打ち合わせなどで時々利用したが、旧館は気軽に入れるような雰囲気ではなかったので入ることはなかった。その頃は数年後にたった1度だがそこに入ることになるとは夢にも思わなかった。

昨年だったか一昨年だったかチキガリの仕事でNHKに行き、休憩時間に廊下を歩いていると不意に名前を呼ばれた。
振り向くと黒沢保裕アナウンサーが笑顔で立っていた。
彼とは都立国分寺高校でクラスが隣同士。一所懸命S&Gのコピーに精を出していた頃、文化祭で歌うことになった時に彼にアート・ガーファンクルのパートを歌ってもらうために一緒に練習した。彼は音楽に対してプロ志向ではなかったので音楽の世界に進むとは思ってはなかったが、数年後にはきっと音楽の道に進むだろうとその頃漠然と思ったのは、僕の他にもうひとりいた。
今年の年頭にまさしは依頼されて大田原市立黒羽中学校の校歌を作ったのだが、その曲をブラスバンドにアレンジすることも依頼された。またピアノ伴奏で歌うための譜面も必要になった。外山和彦という作編曲家に依頼することにした。彼は作曲家の渡辺俊幸さんの友人であり、国分寺高校時代の僕のクラスメイト。音楽の道に進むだろうと思ったそのもうひとりは彼だった(ちなみにタレントの麻木久仁子さんやアカペラ・コーラスグループRAG FAIRのメンバーの2人は国分寺高校の後輩のようだ)。

高校卒業後、僕らは3人とも1年浪人して、外山クンは英語をマスターするために国際基督教大学に、黒沢クンと僕は学部こそ異なるものの同じ早稲田大学に入った(大学では現在オリックス・バファローズの岡田彰布監督が同学年で、面識こそなかったが彼を応援するために神宮球場にはよく通った)。
皆1980年に大学を出て、それぞれの道に進んだ。ちなみに岡田彰布選手が阪神に入団したため、それまでジャイアンツのファンだった僕は阪神タイガースのファンになった。

外山クンと僕が音楽業界で仕事をするようになって数年経った頃、僕のところにオリコンさんから取材依頼があった。当時誌面に「業界内の友人」というコーナーがあって、誰か友人と一緒に出て欲しいとのことだった。そして外山クンに連絡を取り、取材は別々にやって、誌面には一緒に載った。その頃、彼は作編曲家として独り立ちする前で、ベートーヴェン研究家としても高名な音楽評論家の武川寛海氏のご子息であり、ゴダイゴのメンバーとして、シンガー・ソングライターとしても有名なタケカワユキヒデさんのディレクターをしていた。そして僕らは2人とも高校生の時に既に作編曲の勉強をしていたことをその頃になってお互いに知った。

後に妻になる人と初めて会ったのが赤坂だったり、その後も赤坂近辺で会うことが多かったこともあり、赤坂プリンスホテル新館で結婚式を挙げ、僕を魅了し続けた旧館で披露宴をやった。月下氷人は佐田雅人ご夫妻にお願いした。入社後も時々会っていた黒沢クンに披露宴の司会を頼み、彼の休みの日に友人として無償でやってもらった(NHKのアナウンサーはアルバイトをしてはいけないそうだ)。テレビ朝日の「大相撲ダイジェスト」で頻繁に司会をやっていた松苗慎一郎アナ(現在アナウンス部長)は大学のクラスメイトだったので、彼に頼んでもよかったのかもしれないが、さだ企画はNHKさんとの仕事が多いので・・・。
黒沢アナは名古屋の「愛・地球博」では渡辺俊幸さんと仕事をしたらしく、共通の知人である僕の話で盛り上がったのだとか・・・。

何だかあれやこれやと上記以外にも、交友関係やら赤坂、青山、乃木坂、六本木近辺でのここ30年ほどの色々な出来事を思い出した夜だった。

2010年05月16日

オフ!

休みが取れたので、CDを聴いたり、DVDを観たり、かなりオカルトっぽいオーディオの実験をしたり・・・。

最近のオーディオ雑誌で評判が良かった「DUO 2」というタイトルのSACDを発売元であるフォンテックの有田さんにお願いして聴かせて頂きました。
個人的にはクラシックの場合、室内楽よりも管弦楽の方が好みなのですが、評判が良いこととそのレコーディングで使用したホールがまた行ったことのない軽井沢大賀ホールだったため、このSACDに興味を持っていました。
聴かせて頂いて、とにかく衝撃を受けました。
何から何までもが凄い! 
ヴァイオリンは若手の岡崎慶輔さん、ピアノはベテランの伊藤 恵さん。ふたりの息がぴったりであることをはじめ、素晴らしい音楽を作り出すための条件が揃っています。
このSACDはエンジニアの佐藤典雄さんによる素晴らしい録音に随分助けられていると思うものの、作品、奏者、楽器、ホール、プロデュースの良さがストレートに音に出た結果の美音の集合体だと思います。
大賀ホールの空気までもが甦るかのような物凄いリアリティと立体感。このSACDハイブリッド(普通のCDプレーヤーでも聴けます)を聴いてしまうと、ノーマルCDに戻りたくはなくなります。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3725996

時々観たくなる映画はいくつもありますが、今回はあの「ニュー・シネマ・パラダイス」を観ました。ストーリーも映像も音楽も素晴らしいものであることは映画好きの間で、もはや伝説になっていますが、何度繰り返して観ても感動してしまいます。
この映画の中で個人的に一番好きな台詞は主人公の母親が言う「真心を尽くすってとても苦しいものよ。どうしても孤独になってしまうの」というもの。
ラスト近くで様々な真相が分かってくるところなど感動のシーンはいくつもあるものの、やはり今回もここでさり気なくぐっと来てしまいました。

2010年05月15日

最近の関心事

自由になる時間が少ない中でも少しずつ音楽を聴いています。
そんな中で“奇跡”とも思える人がふたりいます。

ひとりはこの度、東京フィルの音楽監督に就任したダン・エッティンガー。
エッティンガーが東フィルと演奏したCDを2枚聴きました。
リヒャルト・シュトラウスとワーグナーの管弦楽曲集も素晴らしかったと思いますが、より感激したのはモーツァルトのピアノ・コンチェルトの21番と哀愁漂うチャイコフスキーの交響曲第5番。
エッティンガーは歌手でありピアニストでもあったとのことですが、ピアノの大家の風格はないものの、自作のカデンツァを使って愛情溢れる「弾きぶり」をしています。ひとつひとつのピアノの音の繊細で儚い美しさは記録に残るばかりでなく、記憶にも残ります。
それにオケが呼応して、ニュアンスに溢れた美しく感動的な演奏を展開しています。チャイコフスキーも情感に充ち満ちた名演だと思います。まるでチャイコフスキーとエッティンガーの魂がひとつになったかのような愛と高揚感。
聴いた後に「愛に溢れたしあわせな気持ち」が残ります。

もうひとりはグスターボ・ドゥダメル(1981年ベネズエラ生まれ)。
彼は昨年ロサンジェルス・フィルの音楽監督に20代の若さで就任。
ウォルト・ディズニー・コンサート・ホールで行われた就任コンサートを収録した映像を先日NHKのテレビで観ました。DVDに残して観ているのですが、若さとパッションと情感に溢れる見事な演奏に打ちのめされてしまいました。このマーラーの交響曲第1番は必見です。
演奏が終わるやリスナーが総立ちで拍手を送っている姿や楽員が嬉しそうに演奏している姿はとても印象的でした。
きっとこれからの音楽界をリードする人になって行くのだと思います。

2010年05月12日

リハーサルつづき

ゴールデン・ウィーク明けから「まさしんぐWORLD2010」の準備をしてきました。
ライヴ・レコーディングの準備やら、譜面(コード付き歌詞)やら、です。

その他にもやらなければならないことがいくつもあって、ここ数日はバタバタでした。
そして遂に今日、リハーサルに突入。
音楽のリハーサルは明日も某所で行われます。

そして明後日は別の場所で、白鳥座のリハーサルに立ち会うつもりでいます(これはまさしんぐWORLD2010ではありません)。


いよいよ来週は「まさしんぐWORLD2010」の本番を迎えます。
きっと心に残るコンサートになると思います。
どうぞお楽しみに!

2010年05月07日

若葉のころ

このゴールデン・ウィークは半分以上が仕事だったので、昨日は休みを戴いてリベンジしてきました。

ちょうど1年前の5月6日、山梨県北杜市の「ヴィラアフガン」のカレーを食し、長野県のパワースポットである「分杭峠」に行きました。

今年の3月10日に東京を発ち、途中雪がちらつく中を「ヴィラアフガン」と「分杭峠」に行くべく進路を進めましたが、両方とも達成出来なかったことはこのブログに書きました。
昨日はそのリベンジでした。
今回はエンジニアの鈴木智雄さんと西山潔さんと3人。
僕らが昨年行った後にテレビで「分杭峠」のことが紹介され人気スポットになってしまったようで、途中からは車を駐車場に止め、シャトル・バスで行くようになっていました。

新緑は目にまぶしく、新鮮な空気と気持ち良いそよ風、そして美味しいカレーを堪能しました。
相変わらず「ヴィラアフガン」の入り口付近は、魔女のキキが出てきそうなイメージで素敵です。
昨日は目的地の300メートル手前で大木が道をふさいではいませんでしたので、無事に「分杭峠」に行けました。
パワースポットとしての効果は人それぞれ異なるでしょうが、やはり不思議な空間であることは間違いなさそうです。

鈴木智雄さん、西山潔さん、ありがとうございました。

2010年05月04日

願い、縁、そして約束 後編

時は流れて2008年8月、有田さんから「相談があるので時間をください」と連絡があり、「まさしに何の依頼だろう?」と思いながら、大阪でのチキンガーリックステーキのレコーディング帰りに東京・四谷のとあるティールームに向かいました。
そこには有田さんの他、初めてお会いするフォンテックのディレクター・宇都宮 潤さんや全音楽譜出版社の方もいらっしゃいました。
名刺交換が済んだ後、有田さんはいきなり「八野さん、コーラスの編曲の仕事をやっていますよね? フォンテックと全音楽譜出版社の共同企画で、さだまさし作品のコーラス集をやりませんか? 勿論、八野さんに編曲して戴いて」と切り出されました。
「編曲をするのは僕でいいのでしょうか? 作編曲家として著名な方にお願いする方が売れるのではありませんか?」とお聞きしたところ、有田さんから「八野さんに是非やって欲しいのです」という返事がありました。その瞬間、会長の願いが僕の頭をよぎりました。そして話はとんとん拍子に進んで行きました。

その後、約半年間は僕のスケジュールが詰まっていたため、2009年4月から編曲を始め(と言ってもMSコーラス用に既に編曲してあったもののマイナー・チェンジですが)、色々な仕事の合間をぬって9月に無事に8曲のコーラス・スコア(ピアノ譜やコード・ネーム付き)をお渡ししました。

合唱団の皆さんの約半年の練習期間を経て、今年の2月と3月に僕も立ち会って埼玉県富士見市民文化会館大ホールで4曲ずつレコーディングが行われました。
清らかで美しいコーラスを披露してくださったのは、勉学ばかりでなく合唱でも有名な浦和第一女子高等学校の皆さん(指揮:小松直詩先生)及び栄東中学・高等学校の皆さん(指揮:石山 明先生)。そして安定感に満ちたピアノで音楽全体を支えてくださったのは、クラシックの世界で活躍され、10年以上前からMSコーラスでもお願いしている古瀬安子さん。この素晴らしい歌唱と演奏によって、拙い楽譜に生命が吹き込まれました。
レコーディング・スタッフはプロデューサーの有田精一さん、ディレクターの宇都宮 潤さん、山田早希さん、エンジニアは佐藤典雄さん他。全音楽譜出版社の中山 塁さん、松藤裕子さん、そして縁結びの鈴木正昭さんも参加してくださいました。

フォンテックさんから“さだまさし 女声コーラス・アルバム「花咲きぬ」”というタイトルでCDが、全音楽譜出版社さんからは同タイトルでレコーディングに使用したものと同じ内容の楽譜が、それぞれ7月15日に発売されます。
尚、このCDのジャケット及び楽譜集の表紙は、おぐらひろかずさんがこのプロジェクトのために描きおろしてくださっています。

今回のプロジェクトにより、今は亡き会長との二十年越しの約束をようやく果たすことが出来たと思っています。
全ての関係者の皆さん、どうもありがとうございました。
愛と感謝を込めて・・・。

2010年05月03日

願い、縁、そして約束 中編

時は更に遡り二十五年位前のことになりますが、大学の先輩で音楽評論家をなさっていた、こすぎじゅんいちさん(現在は故人)から「僕の親戚筋の学生が録音の仕事をしたいとのことなのだけれど、一度会ってアドバイスしてもらえないか」と依頼されました。
後日、こすぎさんに連れてこられたのは鈴木正昭さんという大柄で生真面目な青年。後に彼はめでたくNHKの関連会社に入り、現在もNHKの録音エンジニアとして活躍しています。彼はまさしの出演番組の録音担当をしてくれたことが何度かあり、僕がNHKの番組収録に立ち会う時には彼が録音担当ではなくても時々スタジオに顔を出してくれました。
彼は今でもNHK局内での、さだまさしシンパのひとりです。

そんな彼から十年ほど前に「八野さんに会わせたい人がいるので、時間を取ってもらえませんか?」と連絡があり、東京・渋谷のNHK放送センター近くのティールームに行きました。
そこで紹介されたのは、フォンテックというクラシック系レコード会社のプロデューサーである有田精一さんでした。勿論、フォンテックさんのことは存じ上げており、実際に新日本フィルハーモニー交響楽団(指揮:朝比奈隆さん)の「ベートーヴェン/交響曲全集」をはじめとして何枚かCDを持っていました。
その後、何度か3人で会ううち、有田さんから「いつか機会があったら仕事をご一緒しましょう」と話を頂きましたが、それぞれが多忙を極めていたこともあり具体化はせずじまいでした。

2010年05月02日

願い、縁、そして約束 前編

二十数年前のある日、昨年12月に他界された弊社の佐田雅人元会長(当時は代表取締役)から「八野君、うちの家内たちがMSコーラスという女声合唱団をやっているのだけれど、その編曲と指揮をやって欲しい。練習は毎週金曜日に市川でやっているから、それに行くように」と言われました。「それは会社の業務としてやるのでしょうか?」とお聞きしたところ、「まさしの曲を年齢やジャンルを超えて広めることは大切な会社の仕事のひとつだよ」と。「では練習に伺います。ただしレコーディングがある時には伺えませんが、それで宜しいですか?」とお聞きしたところ、「それで結構」との返事を戴いたので、それ以来練習日になると市川にある佐田家に伺うようになりました。

その後、団員の方々の増減があったり、一時指揮を他の方にお願いしたり、練習日が土曜日に変更になったり、ピアニストが替わったりして、もう二十年以上の時が流れました。その間、いついかなる時も佐田雅人氏はMSコーラスの最大の理解者であり、後援者であることを貫き通されました。

会社で会長室に呼び出され、「君が編曲したコーラスの楽譜を出版しなさい」と何度も指示されたのですが、その都度「楽譜の販売網を持ってない当社でやるにはリスクが大きいと思います。ですからそのうち何か機会がありましたら・・・」とお答えしました。さだまさし作品の更なる普及とコーラス楽譜の出版という会長の願いは、それ以来しっかりと僕の胸に刻まれました。

2010年05月01日

助けられて

今回のアルバム「予感」を制作するにはたくさんの人の力が必要でした。
まさし本人は勿論、アレンジの渡辺俊幸さん、様々な演奏家の皆さん、エンジニアの鈴木智雄さん、遠藤等さん、西山潔さん、マスタリング・エンジニアの鈴江真智子さん、楽器担当の小松一英クンなど数え上げたらきりがありません。
録音機材も鈴木智雄さんやAcoustic Reviveの石黒謙さんによるチューン・アップがなされ、そのお陰もあって最高のギター・サウンドを作り出すことが出来たと思います。勿論、まさしの努力も忘れてはいけませんが・・・。

曲作りからレコーディングへと突入した頃、まさしが大きなビックカメラの袋を抱えてスタジオにやって来ました。
まさしが買ってきたのは「Dolce Gusto」というコーヒー・メーカー。これには皆が助けられました。様々な種類のコーヒーを入れることが出来るのは当然ですが、その香りと味は想像を遙かに超えるもの。コーヒーを入れるとピリピリしたスタジオが癒しの空間に変貌しました。

様々なエディットに明け暮れた僕とエンジニアの西山クンは、森永の「チーズスティック」というアイスクリームにはまり、毎日のように食べてました。このまろやかでクリーミーな味も我々に癒しを与えてくれました。

そしてリスナーの皆さんに喜んで戴きたくて、その笑顔を想像することによって、重くなった足を更に一歩前に出すことが出来ました。

努力と感謝の毎日でした。