ゆったりと時が流れる静かな夜には色々と思い出したりすることがある。
きっかけは昨日タクシーの車窓から観た風景だった。
昨日の午後、とある打ち合わせのために事務所のある四ツ谷から弊社の丸専務と一緒にタクシーに乗り込んだ。赤坂見附交差点を経由して向かったのはサントリーホールの前にあるANAインターコンチネンタル東京。1時間ほどで打ち合わせが終わりタクシーで事務所に戻った。戻る際に偶然、グランドプリンスホテル赤坂の旧館の前を通った。
赤坂は数多くの思い出がある街。
1980年にフリーフライト(現さだ企画)に入社し、4月1日に代表室に呼ばれ、初めて与えて頂いた本格的な仕事は赤坂見附交差点の角地におよそ3ヶ月で「自由飛行館」という名前のパブ・レストラン兼ライヴ・ハウスを作ることだった。
まさしに何度も会って彼の希望を聞き、基本コンセプトから店の内装、音響機器、食事のメニューまでも打ち合わせした。
毎日のように10時から23時まで仕事をし、何とか無事に予定通り1980年7月7日にオープンさせることが出来てホッとしつつも、店の従業員と共に現社長と僕はしばらくの間エプロンを着て店内に立った。
そして店が軌道に乗り始めると、今度はまさしのアルバム「印象派」のレコーディングのためにスタジオに缶詰め。新日本フィルの軽井沢音楽祭や白鳥座の音楽合宿を経て、「長江」の撮影で100日間中国へ。帰国後、仕事仲間と赤坂で飲んでいるとジョン・レノンが射殺されたというニュースが・・・。1980年は僕にとってまさに激動の年だった。
当時も今もスタジオ間の移動にはタクシーを使うことが多いが、車窓から時折観た赤坂プリンスホテル (現在のグランドプリンスホテル赤坂) 旧館の、ひっそりと時が止まったような、その典雅な佇まいに大いに魅了され、いつかその旧館の中に入ってみたいと思うようになった。その後、新館は打ち合わせなどで時々利用したが、旧館は気軽に入れるような雰囲気ではなかったので入ることはなかった。その頃は数年後にたった1度だがそこに入ることになるとは夢にも思わなかった。
昨年だったか一昨年だったかチキガリの仕事でNHKに行き、休憩時間に廊下を歩いていると不意に名前を呼ばれた。
振り向くと黒沢保裕アナウンサーが笑顔で立っていた。
彼とは都立国分寺高校でクラスが隣同士。一所懸命S&Gのコピーに精を出していた頃、文化祭で歌うことになった時に彼にアート・ガーファンクルのパートを歌ってもらうために一緒に練習した。彼は音楽に対してプロ志向ではなかったので音楽の世界に進むとは思ってはなかったが、数年後にはきっと音楽の道に進むだろうとその頃漠然と思ったのは、僕の他にもうひとりいた。
今年の年頭にまさしは依頼されて大田原市立黒羽中学校の校歌を作ったのだが、その曲をブラスバンドにアレンジすることも依頼された。またピアノ伴奏で歌うための譜面も必要になった。外山和彦という作編曲家に依頼することにした。彼は作曲家の渡辺俊幸さんの友人であり、国分寺高校時代の僕のクラスメイト。音楽の道に進むだろうと思ったそのもうひとりは彼だった(ちなみにタレントの麻木久仁子さんやアカペラ・コーラスグループRAG FAIRのメンバーの2人は国分寺高校の後輩のようだ)。
高校卒業後、僕らは3人とも1年浪人して、外山クンは英語をマスターするために国際基督教大学に、黒沢クンと僕は学部こそ異なるものの同じ早稲田大学に入った(大学では現在オリックス・バファローズの岡田彰布監督が同学年で、面識こそなかったが彼を応援するために神宮球場にはよく通った)。
皆1980年に大学を出て、それぞれの道に進んだ。ちなみに岡田彰布選手が阪神に入団したため、それまでジャイアンツのファンだった僕は阪神タイガースのファンになった。
外山クンと僕が音楽業界で仕事をするようになって数年経った頃、僕のところにオリコンさんから取材依頼があった。当時誌面に「業界内の友人」というコーナーがあって、誰か友人と一緒に出て欲しいとのことだった。そして外山クンに連絡を取り、取材は別々にやって、誌面には一緒に載った。その頃、彼は作編曲家として独り立ちする前で、ベートーヴェン研究家としても高名な音楽評論家の武川寛海氏のご子息であり、ゴダイゴのメンバーとして、シンガー・ソングライターとしても有名なタケカワユキヒデさんのディレクターをしていた。そして僕らは2人とも高校生の時に既に作編曲の勉強をしていたことをその頃になってお互いに知った。
後に妻になる人と初めて会ったのが赤坂だったり、その後も赤坂近辺で会うことが多かったこともあり、赤坂プリンスホテル新館で結婚式を挙げ、僕を魅了し続けた旧館で披露宴をやった。月下氷人は佐田雅人ご夫妻にお願いした。入社後も時々会っていた黒沢クンに披露宴の司会を頼み、彼の休みの日に友人として無償でやってもらった(NHKのアナウンサーはアルバイトをしてはいけないそうだ)。テレビ朝日の「大相撲ダイジェスト」で頻繁に司会をやっていた松苗慎一郎アナ(現在アナウンス部長)は大学のクラスメイトだったので、彼に頼んでもよかったのかもしれないが、さだ企画はNHKさんとの仕事が多いので・・・。
黒沢アナは名古屋の「愛・地球博」では渡辺俊幸さんと仕事をしたらしく、共通の知人である僕の話で盛り上がったのだとか・・・。
何だかあれやこれやと上記以外にも、交友関係やら赤坂、青山、乃木坂、六本木近辺でのここ30年ほどの色々な出来事を思い出した夜だった。