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30年の時 1

今日、事務所で「まさしんぐWORLD2010」をライヴ・レコーディングしたものをチェックしていると、同僚のH女史が一葉の写真を持ってきた。
それは美貌のM女史とH女史が並んで椅子に座っている写真。
おそらく30年程前のものであろうけれど、どこで撮ったのか分からないと言う。
手にとって見せてもらうと、それは赤坂にあった自由飛行館で撮ったものであることが分かった。

今年は「長江」から30年。「自由飛行館」からも30年。
仕事が終わって家路を急ぐ時に、気持ちは30年前にタイム・スリップした。

先日のブログで自由飛行館を立ち上げる話を書いたが、一言では書ききれない実に様々なことがあった。
アイデア溢れるまさしの希望は際限がなかったが、それのかなりの部分を実現出来たように思う。しかしその裏では実に多くのトラブルに見舞われたことも事実。

自由飛行館へ入るための地下への階段を下りるとドアが右、真ん中、左と3つあった。右は全くのダミーで壁に埋め込まれていた。真ん中はレジや従業員の荷物置き場へのドア。左が店の中へ入るドアだった。初めてのお客さんは全員が迷った。
店に入ってすぐの左右には小型のコイン・ロッカーのようなものが並んでいて、ボトル・キープしてくださった方のボトル入れであり、そのお客さんが折りたたみ傘などを入れてもいいようになっていた。
音楽はスピーカーからは流さず、右手の壁にいくつかの機械が埋め込まれており、音楽を聴きたい人にはゼンハイザーのヘッドフォンをお貸しして、その機械につないで聴いてもらうという風になっていた。その機械には5つのセレクターとボリュームなどがついており、さながらスタジオにあるキューボックスのようなものだった。
左手奥の20センチほど高くなったスペースは通常は8人が座れ、手すりに囲まれたVIP席のようだったが、その手すりを外しテーブルを片付けるとそこがステージになるというものだった(まさしはステージが電動で動くことを希望したが、流石にあれだけのスペースでは無理という結論を出さざるを得なかった)。
ステージ下手にはロール・ピアノを置いていた。当時、日本にはあまり無かったもので、シリンダーを交換して様々な曲を自動演奏させることが出来、勿論、人間が演奏することも出来るものだった。
これを探すのも大変だった。色々なところに相談した結果、国立楽器に行くのが一番良いだろうという結論になった。国立楽器は当時はJR国立駅の北口から2分位のところにあった。実は通っていた高校への通学路にあったので、勝手知ったる、という感じであり、ロール・ピアノを探してもらって何とか入手した。確かアメリカから輸入したように記憶している。

前に自由飛行館で、まさしと渡辺俊幸さんと3人でライヴをやったことがあると書いたが、実はそれよりも前にまさしとふたりで少しだけやったことがあった。
都内でのまさしのコンサートが終わって、まさし、亀山社中(当時のバックバンド)、と共にタクシーで飛行館へと移動した。
10人位で飲んでいると、まさしが僕にギターを弾けと言う。ステージに移動して「アンジー」というインストゥルメンタルを弾くと亀山のみんなも僕がS&Gのファンだと納得。まさしも盛り上がってステージに乗って来て、まさしもギターを手に「コンドルは飛んで行く」や「サウンド・オブ・サイレンス」などを歌い、僕はギターを弾きながらハモった。
そんなことも今となっては懐かしい思い出のひとつだ。

紆余曲折を経て、後年、自由飛行館は長崎へと移転することになる。

コメント

おはようございます、昔は東京に自由飛行館があったんですね。今度は支店という形でまた東京に出来たら何回でも行くのにな

とても不思議な夢のような気分、
私も八野さんのタイム・マシーンに乗せていただいて浮遊しているよう、
スイッチは、Hさんご持参のお写真、それで一気に30年前にタイム・スリ~ップ!

自由飛行館は、たった一回だけ行ったことはありましたが、
残念ながら鮮明な記憶が残っていなくて、
このタイム・スリップで、キョロキョロ見回してみたり、ワクワクしていたり、
ふーん、そうだったの、とか・・・今ごろ感心しています。

なんでしょう、丁度この30年という区切り、
今、八野さんにとっての、これまでの積み重ね、かけがえのない思い出を、
あらためて味わいなおされる、そういった時期なのでしょうか?

先日のお願いが、またこんなにも早く実現していただけるなんて、
お忙しいのに、ありがとうございます!

タイム・マシンのスイッチをくださったHさんにも感謝、です!
またこの続きも、楽しみにしていま~す!

想像の世界っていいですね~、どこまでも自由で広くって・・・

まだ若いころ何度か赤坂見附の「自由飛行館」に行ったことがありました。会報で予備知識を仕入れて行ったので、話題の「トイレ」にも、話題のために入ったような。一番印象に残っているのが「お味噌汁」が異様に塩辛かったこと。何かの間違いかと、あたりで食事をしている人を見まわしたが、みな平然と。「食文化」の違い、だったのかな。玄関先のスナップ写真が宝物です。

25、6年前の事を思い出しました。
赤坂の自由飛行館の事は知っていたものの行くことは叶わなかった田舎の高校生でした。
上京して都会の生活に少し慣れた頃、原宿のA・Weekで自由飛行館の事を尋ねると「もう、なくなっちゃったよ!」
とても残念でした!!
その後、長崎の自由飛行館に行く事はできましたが、八野さんの記事を拝見すると凄く凝ったお店だったのですね。
改めて、行ってみたかったなぁ…と、思いました。

後藤尚代さん、凛さん、じっちゃんさん、もんもさん、こんばんは。
コメントありがとうございました。

僕は思い出に生きるほどの歳になったつもりはありませんが、入社30年を超えて色々と思い出すことが多くなりました。やはり元会長のご逝去が頭から離れないためだと思います。

じっちゃんさんのおっしゃる通り、トイレにしてもこだわりがあったり、上記以外にも実にこだわりに溢れた店でした。
もし今、そういう店があったら僕は何かある度に利用するでしょう。

正面にはカウンター席が5つ位あり、カウンターの奥には当時はまだ一般的ではなかったエスプレッソを作る機械が鎮座していました。この機械を入手するにもかなり大変だった記憶があります。
僕の手を離れてから記憶にある大きなトラブルはまさしたちが望んだアイスクリームを作る機械(アメリカの遊園地かどこかで見たものらしいです)でした。
この機械が入手出来なくて、何ヶ月、いや1〜2年かかったかもしれません。
やっと輸入出来たと思ったら、今度は国内では使用不可だということが判明し、成田の税関で何ヶ月も止められ、大変なことに・・・。

とにかく様々な楽しさを提供したいという思いがありましたが、形を変えて長崎に移りました。
残念ながらあんな画期的な店はもう二度と作れないでしょうね。

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