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そっと、でも確かな存在感

薔薇のように華麗ではなく、百合のように強い香りは放たなくても、そっとではあっても確かな存在感を持って傍らに咲く花がある。
僕にとって男子バレーボール界に於けるそういう存在は先日他界された中村祐造さん。

1964年の東京オリンピックに於いて金メダルという大輪の花を咲かせた女子バレーの陰で、世間からはあまり相手にされないでも銅メダルという立派な花を咲かせた男子バレー選手のひとりだった。その後、男子バレーの監督に就任した松平康隆さんは8年計画を立て、68年のメキシコで銀、72年のミュンヘンで金メダルという大輪の花を咲かせたのだが、中村祐造さんはそのミュンヘン大会の主将だった。

素人には世界情勢など解るはずはないけれども、当時の男子バレー界ではソ連、東ドイツが強く、日本が追いつき追い越そうとしていたのだと思う。

ミュンヘンの大舞台の準決勝戦のことを今でも記憶している人は多いと思うが、日本はブルガリアと対戦し、先に2セット連取されてしまった。絶体絶命のピンチの中、若手の主力選手に替わってベテランの中村祐造さんと南将之さんがコートに入り、そのピンチを脱出したばかりか、その後3セット連取して勝ち進んだ。これは後に「ミュンヘンの奇跡」とまで呼ばれた。

個人的には、スポーツでこれほどまでの興奮と感動を味わった記憶はなく、今でも一番映像として欲しいもののひとつだ。
きっと多くの人にとって、「最後まで諦めてはいけない」と心から思わされた出来事のひとつであるに違いない。

中村祐造さんのご冥福をお祈り致します。合掌。

コメント

えっ?!
八野さんのお話しから、今、新聞で確認したところでした。
そうですか・・・20日にお亡くなりになっていたのですか・・・
68歳で逝ってしまわれたとは、早過ぎます。

選手時代のお写真、懐かしく拝見しながら・・・合掌・・・

凛さん、こんばんは。
コメントありがとうございました。

凛さんがおっしゃる通り早すぎますね。

僕は高校1年までバレーボールを真剣にやっていました。ミュンヘン・オリンピック直前に場所までは覚えていませんが、男子チームの練習を見学させて頂いたことがあります(見学というか球拾いというか・・・)。

チームの中では小柄な中村さんでさえ、その大きさに驚きましたが、手を伸ばせば触れんばかりのところにいらっしゃった大古さん、横田さん、森田さんの大きさもさることながら、そのスパイクしたボールのスピードには驚きを通り越して畏怖すら感じたことをつい昨日のことのように覚えています。

そうですか、八野先生は 高校までバレーボール部だったのですか! 驚きと感動です! 私も 高2まで 部活でレシーブ専門でしたm(__)m
長崎は 池田コーチのご縁で 合宿が多かったのですよ。公式試合も多く、何度も観戦しました。
中村祐造選手は、華やかではないけど 存在感の大きい大きい選手でした。同じ年令の私としては その早すぎる死が 惜しまれてなりません。青春時代をありがとうございました・と言う思いです。

音楽の話ではなく コメントさせていただき ありがとうございました。
  
 

                   

まんまるさん、こんばんは。
コメントありがとうございました。

まんまるさんもバレー部だったのですね!

テレビ番組の「ミュンヘンへの道」はご覧になってましたか?

日本の男子バレーが最も輝いていた時期をリードしていた方ですから、ファンのひとりとして感謝しています。

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