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白鳥座/アルバム「白鳥座」1.「かもめ」

ご存じ白鳥座のデビュー曲。
当時の関係者全員でデビュー曲をどれにするかで悩みに悩んだあげく、総合プロデューサーであるさだまさしの意見で「かもめ」になりました。
曲の出来やレコーディングの出来だけでなく、歌詞の最初が「あ」で始まるものは明るくインパクトがある、ということが要因だったと記憶しています。

元々この曲のアレンジをどなたにお願いするか随分悩みました。
彼らのデビューした1981年はアレンジャーの渡辺俊幸さんはまだアメリカに留学中でした。
アルバムのアレンジャーのひとりはまさしからのリクエストもあって井上鑑さんに決めていましたが、この「かもめ」は井上さん同様に当時人気実力とも最高のバンドのひとつだった「パラシュート」のメンバーだった今剛さんにお願いしました。
パラシュートはキーボードの井上鑑さん、ギターの松原正樹さんと今剛さん、ドラムスの林立夫さん、パーカッションの斉藤ノブさん、ベースのマイク・ダンさんらがメンバー(順不同)で、白鳥座のアルバムで今さんや井上さんがアレンジした曲ではレコーディングもほぼこのメンバーで行いました(それにしても凄い人達! ほぼ同時期に井上さんがアレンジし、今さんやベースの高水健司さんらと共にバックを努めて大ブレイクしたのが寺尾聰さんの「ルビーの指環」でした)。
今さんとキーやヴォーカルの歌い分け部分などの確認をした後、「フォークというよりもポップス的、ロック的、間奏のソロはE.ギター、青空・広い風景・空の高さが見えるようなサウンド」などを意識してもらうようお願いしました。

「災い転じて福となす」的な歌詞を持ったこの曲で、メイン・ヴォーカルのメグだけでなくそれ以外のメンバーの歌(コーラスを含む)も、説得力、拡がり、インパクト、爽やかさなどをよく表現出来ているものになりました。この曲を聴く度に、この歌詞に登場する人達には幸せになって欲しいと思わされ、気持ちが前向きになれる気がするのではないでしょうか。
当時としてはレコーディングもミックス・ダウンもうまくいったとは思いますが、今回のマスタリングで本来のコンセプトにより近づいたと思います。
尚、2コーラス目(「ちょいと知れた顔」あたり)の井上鑑さんが弾く変拍子をイメージさせるピアノのリズミックなフレーズ(ステレオやヘッドフォンで聴くと左右の中央あたりに定位すると思います)は今さんの書き譜ではなく、井上さんのアドリブ。それがカッコ良く見事に決まったので、繰り返しの部分(偶数回目)では今さんがE.ギターでユニゾンのフレーズ(左チャンネル)を重ねています。また、間奏のE.ギターはミックス・ダウンで「かもめ」が青空を左右に飛び交うイメージの音にしています(当時使っていたAPIの調整卓に内蔵されていたジョイスティック式のエフェクターを使用)。

このレコーディングはデジタルの48チャンネルのマルチ・トラック・レコーダーが登場するよりも遙かに前で、アナログの24チャンネルのものを使っていました。したがってメイン・ヴォーカルに3チャンネル(この場合は玲子のメインも含めて)、コーラスに2チャンネルしか使えませんでした。
コーラスを録る時には1本のマイクの前にコーラスの3人が立ち、それぞれがかなり音量差がありましたので、マイクまでの距離で音量をコントロールしていました。たいてい高比良が一番遠くに立ち、その次に遠いのが玲子でした。
そうやってコーラスは2回同じものを録って、両方使っていました(これがダブルということです)。時にはメイン・ヴォーカルもダブルにしていました。
ミックス・ダウンもコンピューターなど使えない時代でしたので、全てリアル・タイムで行っています。

コメント

こんにちは

今剛さんや井上鑑さんはまさしさんのアレンジを担当されたことはないので、どう言う経緯で白鳥座のアレンジをされることになったのかずっと疑問に思っていました。まさしさんの意向だったんですね。でも今さんや松原さん、林さんは80年代のさださんのレコーディングでは常連ですが、井上さんは確か私の記憶では参加されたことはない気がします(シングルはクレジットが載らないので分かりませんが)。

 「かもめ」はまさにあのピアノのフィルが強く印象に残った曲だし、エンディングのノブさんのコンガのソロもかっこよかったです。

 実はこの曲で私は今さんの名前を知りましたし、以来、松原さんとともに私にとってのNo.1のギタリストになりました。でも当時今さんまだ23歳くらいですよね。30年以上もトップギタリストであり続けるってホントにすごいことですね。

海象さん、おはようございます。
コメントありがとうございました。

はい、井上鑑さんにお願いすることを僕に進言したのはまさしです。
井上さんはあの頃大ブレイクしていましたから、キーボーディストとしてセッションに呼ぶのを躊躇うディレクターが多かったようです。彼はそれを残念がっていました。気軽に呼んで欲しかったようです。
しかし、その後、彼は活動の拠点をロンドンに移してしまったので、それこそ気軽に呼べなくなってしまいました。

斉藤ノブさんのフェイド・アウト間際のコンガもあのPfのフレーズを受けてのものです。

30年も第一線でやるのは大変ですね。それはミュージシャンにしても、アレンジャーやエンジニアなどのスタッフにしても同様だと思います。

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