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クラウディオ・アバド

指揮者のクラウディオ・アバドが亡くなった。
1989年にヘルベルト・フォン・カラヤン亡き後のベルリン・フィルの常任指揮者に誰が就任するのかについて、クラシック・ファンはやきもきしたものだった。
それは日本においてもしかりで、マゼール、小澤征爾、アバド、ハイティンクなど蒼々たる人たちの名が挙がっていたように記憶しているが、最終的に決まったのはアバドだった。

その直後、僕はイタリア在住のヴァイオリン製作者・石井高さんと知遇を得て、さだまさしが中心となり、石井さんの研究テーマである「秀吉が聴いたヴァイオリン」と題されたコンサートを大阪で1991年3月にやることになった。
僕はまさしからそのコンサートを実質的にプロデュースして欲しいと頼まれ、石井さんに話を伺ったり、古楽器の演奏家を紹介して頂いて会いに行ったり、その他にもコンサートを実現させるため様々なことに取り組み、数ヶ月ほど大わらわだった。

石井さんと本題に入る前にアバドの話になった。僕が「アバドがベルリン・フィルのシェフに就任しましたが、彼の出身国イタリアでの反応はどうですか?」と水を向けたのだった。それがきっかけとなって、石井さんと古楽について、古楽器について様々なお話を伺い、その後プロジェクトはスムーズに進行していった。

まさしは一般的に全く知られていない古楽だけではコンサートにお越しくださったお客様が退屈されることを心配したのか、自分の曲を使って面白可笑しくすることをも望んだ。
そのため、コンサートで実際に演奏してくださる古楽器アンサンブルのために、まさしの数曲の編曲を僕がしたことも懐かしい思い出のひとつだ。
ギャグっぽい要素もあったが、古楽器奏者の皆さんは面白がって全面協力してくださった。

2000年にアバドが大病をし、復帰してからの彼の作り出す音楽の変貌について良い意味で議論されることが多いが、個人的にはその前後どちらも彼の音楽と僕の好みが重なる部分は多い。
元々、協奏曲の指揮には定評があったが、指揮者として極めてオーソドックスに音楽を作り、オーケストラを統率しながら、イタリア人特有の歌心と豊かな情感を忘れていないところは特に素敵だ。

近日中に時間が取れたら、アバドが指揮した管弦楽曲を聴いて、彼を偲ぶことにしよう。
合掌

コメント

私がアバドを最初に意識したのは80年代に出したウイーンフィルとのベートーベンの交響曲でした。「英雄」を聴き、明るく強い推進力と、ウイーンフィルの美音に参りました。この後は新たに発売されるCDをワクワクしながら待っていました。発売の度にレコードショップに飛び込み購入し、聴けばどれもが素晴らしい演奏でした。この後に知る事に成った、ロンドン交響楽団とのラベルやメンデルスゾーンも名演が沢山有りますね。

最近感動したのはBlu-ray Discで見たルツェルン祝祭管弦楽団とのマーラーの交響曲第1~7番、9番 です。スケールの大きな演奏は圧倒されます。マーラーの楽しみは視覚的要素も有ると思いますし、名門オーケストラのトップが列ぶ映像に、目は画面に釘付けです。

アバドさんには大きな感動を沢山頂きました。

八野さんの言葉、「生きる」「音楽する」「愛する」「思いやる」これらは同義語・・・を改めて感じます。

おはようございます。
コメントありがとうございました。

ベルリン・フィルの先代と先々代の常任指揮者の個性があまりに強いので、アバドは割を食っていますよね。

まぁ、世の中、何をやっても、どんな結論が導き出されても、常に賛否両論はあるので仕方ないのですが・・・。

個人的には、アバドもラトルも、もっともっと評価されてしかるべきだと思います。

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